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放送、開局!(144)
2007 / 12 / 31 ( Mon )
ブログによる放送、そんなに難しい事ではない。即、実現可能である。
例えば、野球放送を考えた場合、12球団、各球団のフアンブロガーを、12名集め、試合が行われると、その球場へ行き、逐一1分単位でもいい、ブログで、結果を上書きして、立ち上げる。
6試合であるからは、六つのブログを一つのサイトとして、位置づけるのだ。
常に、各球場の最新情報が、ポータルサイトで書き換えられているという事になる。
テレビで、ダイジェスト版として、プロ野球ニュースがあるが、そんな番組はもう用をなさなくなる。
例えば、TBSが、東京ドームで行われる巨人、横浜戦を中継しようとしても無理だ。素材をニュースとして使うぶんにはいいが、番組としては使えない規則になっており、お互い縛りっこしている。
ブログの場合、携帯を球場へ持ち込ませない、という訳にはいかない。
縛りがないので、誰でも自由にブログ番組の立ち上げが出来るのだ。
ブログのポータルサイトをうまく作れば、野球だけではなく、サッカー中継、全国の祭りサイト、もろもろの番組が、放送時間枠、時間帯など関係なく、ほぼリアルタイムに、送出できるのである。
テレビの場合は、どうしても放送時間、各局間の縄張り争い、あるいは一方的な情報の流し方など問題があるが、ブログの場合、ワンセグテレビを見るように、気のついた時、一服の時、信号待ちの時に自由に見れる。
テレビ放送にはない、かなりのメリットを有している。
局が、放送法を盾に惰眠をむさぼっている間に、早者勝ちだ。
これから先、携帯に映像情報が挿入出来るようになると、これはもうテレビを超える時代が来る。
サッカーは海外のファンが多いので、世界とリンク体制がとられ、勿論、大リーグと日本もリンク。
テレビ局が、あまりにも小さなネット局問題で四苦八苦している間に、アリンコがブルドーザーに潰されるが如く、気が付くと跡形もなくなる。
今の若者たちには、5年先、10年先を見据えた、新しい視点を持ってもらいたい。
今すぐに始めよう、放送局!!
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21:39:14 | 未分類 | コメント(0) | page top↑
足跡(148)
2007 / 12 / 31 ( Mon )
我々が、地上で生きられる時間は、大きな宇宙の営みから見た場合、まばたきの瞬間なのかもしれません。
たとえまばたきの一瞬でも、地上に生を受け、鼓動が動き出した以上、この鼓動が動いている間、止まる前に、自分自身が生きていた、という証、足跡を残したい。
人々がひしめく大都会、巨大化した組織の中、これが自分の足跡だと言えるものは、なかなか見つけられません。
ひかるの場合に、少年の頃見た夢に、人生のほとんどを費やし、追い求め続けた、魔法の箱、テレビ少年物語、ブログそのもの自体が、ひかるの細やかな人生の証ではないかと、考えています。
たかがブログ、だけど、宝だブログ。
たった一人でもいい、人生灯台の一コマになれば・・・
長年待ち望まれた、八重山地区への民放、2局ながらも開通、ひかるの両親が眠る墓にも、電波が届きました。
ひかるの夢は実現したのである。
島を訪れると、わざわざ船でビデオテープを借りに行かなくても済むようになった、と若者たちは大喜び。
テレビを見ていると、おばあちゃんが、不機嫌になり、血を流し争うテレビは嫌いだ、といきなり電源を切ってしまう。
演技で、本当にはやっていないと、説明してもわかってもらえません。
NHK時代はそうでもなかった、東京へ帰ったら、そんなテレビは作るな、といわれ、穏やかに生活して来た、島のお年寄りたちの心を乱してしまったのではないかと、考えさせられました。
また、北半球の日本から、南十字星が見えるはずがない、と思われる事でしょうが、この八重山地区では、5月の末から6月の初め頃、見事な十字星が見えます。
南の島、夕やみせまる浜風と、水平線にひときわ輝くこの神秘的な星に出会う時、何とも言えない安らぎを覚えます。
ただこの時期は梅雨どきで、特に南の空は積乱雲が多く、この星に出会えれば、大変幸福です。
1少年が、5コマ漫画に夢を見、見事に成就。老後は飛行機にまたがり、南の島へメルヘンを求める人生、現代のロビンソンクルーソー物語、いかがだったでしょうか。
・・・・完
21:38:46 | 未分類 | コメント(0) | page top↑
納得シーン(147)
2007 / 12 / 31 ( Mon )
また、ひかるの場合、物事に挑戦する時、一つの思考パターンがある。
作物を育てるとき、出来の良い種を翌年植え、徐々に収穫を増やし、満足するまでには、数年必要とします。
このことから、ひかるも、何か成す時は、畑を耕し、種を蒔き、水をやる。
3年目に花を咲かせ、4年、5年目に、実績という収穫を得るの例えで、3年から5年先を視野に入れた実行方式を取り入れてきました。
この思考パターンは、じっくり腰を据えて取り組めるため、ほとんど失敗する事なく、結果が得られます。
参考にしてみてはいかがでしょうか。
もし、あなたが3年前と、今現在を比較し、何の変化も感じられないとすると、いま何か手を打たなければ、3年後も同じです。
と言う事は、前後で6年間、何の変化もない人生という事になります。
何の変化もない人生を求めるならともかく、自分は、20代、30代40代は、こういう事をやって来た、と言える、人生のアルバムが、必要ではないだろうか。
人生ドラマ80年、1日1日が、ワンカットの積み重ね。
スターは、あなた。
監督も、すべてあなた一人の独壇場。
己の人生、楽しい、最高のドラマです。
テレビのドラマ、己の人生ドラマ、比べたら、比較に値しない。
若者よ! 即、己の人生ドラマ、企画立案、取り掛かろう!
今日一日、あなたは、納得できるワンシーン、作れたかな?
人生の 喜怒哀楽に ロマンあり!
若者よ 思い残すな 明日は華!
 貴方には 誰にも盗られない 知恵がある。
 貴方には 誰にも止められない 鼓動がある。
これしかない!
己の人生ドラマ ロマンを持て!
そして
 命を張れ!
 命を張れ!
21:37:24 | 未分類 | コメント(0) | page top↑
ブレーン(146)
2007 / 12 / 31 ( Mon )
高校へ進むにもまた、島からは同学年で、ひかる一人。
地元の石垣中学から、なだれ込んだ連中が、徒党を組んでいるように見え、ここでもまたもの言わぬ人とあだ名され、卒業。
上京後、就職するにも、今度は、異境の沖縄人として見られ、その事が、自分自身にも大きく乗しかかり、言葉のなまりが気にかかり、多くをしゃべりませんでした。
同期の人は、30前に管理職として登用されていきますが、やはり置いてけぼり。
やっと30歳で管理職の末席につくようになった頃、先輩管理職がごっそり飛び出していったのです。
その後、社の状況は、日に日に悪化、ほとんど泥沼に片足を突っ込んだ状態となりました。
取り巻く状況が悪い時、ほとんどの人は、身を守る方へと向かいますが、ひかるの場合、全く逆で、一気に攻める事を考えたのです。
長い間、もの言わぬ環境で育ち、何かに挑戦してみたい、他人に負けるはずがない、という、情熱のエネルギーが、爆発寸前まで蓄えられていたのです。
貧乏のどん底を這いずり、嘗め回す、しこたま、言葉をなくす程いじめ抜かれる、人生の一番大事な結婚では、生い立ちを罵られ、塩を撒かれる。
人間、生まれた所で価値が決まるわけではない!! と怒鳴りたいが、耐え抜いてエネルギーを貯めるしかなかった。
そのエネルギーは、人間が豹変したのではないかと思われる勢いで、トップを説得しまくり、承諾を得ると即行動。
まず100人を動かすには、行動を共にするブレーンが10人いれば、流れは変えられるだろう、とブレーン作りを開始しました。
守りに回った人を攻めに転じさせる事は、容易ではありませんでしたが、熱意をもって説く姿にブレーンが増え、大きな展開ができるようになったのです。
ひかるの、もの言わぬ少年時代を知る人は、これ程変身出来た人はいないだろう、何かあったのか、と聞かれますが、何もない。
ただ情熱のほとばしるまま、人生の波を味方とし、知恵を使っただけだ、と。
抑圧された人間の悔しさが開き直る時、その悔しさの度合に応じ、変身できるのです。
人生のチャンスという波が訪れた時、蓄えたエネルギーをバネとして使える生き方をしてほしい。
背伸びしきった生き方は、いつの日か息切れする事でしょう。
16:17:12 | 未分類 | コメント(0) | page top↑
もの言わぬ人(145)
2007 / 12 / 31 ( Mon )
一少年が、5コマ漫画に夢を見、浦島太郎になっていく姿自体が、5コマ漫画の格好の題材になるかと思います。
紙面の隅っこ、あまり注目される事もなく、流れすぎていく5コマ漫画の世界と同じで、あっという間の人生でした。
振り返ると、ひかるは小学校入学時、登校拒否児でした。
五歳の時、股関節を痛め、かなりのビッコ、入学時、他の子が運動場一周するにも、半周しか出来ない、ピコタンピコタン状態。
貧しくカッパが買えない、大雨の日、母は蓑かさを着させ、登校させる。途中、ひかるはあまりの格好悪さに気ずき、帰ると脱ぎ捨て、ずぶ濡れで登校。
急に体を冷やしたせいか、下腹部に激痛を感じるが、我慢できずウンチを漏らしてしまう。
ビッコ野郎、ウンチ野郎、といじめられる。
女の子が木切れでつっついて逃げるに、ピコタンピコタン追いつかない。
更に、他の村は、同級生が大勢いたのですが、ひかるの村はたった一人。しこたまいじめ貫かれたのである。
登下校時、他の村の連中が徒党を組み、襲ってくるのではないかと、恐怖を感じ、とうとう言葉を失う、しゃべらなくなったのです。
登校拒否に、母はひかるを抱きしめ「ひかるが学校へ行ないんなら、お母さんは生きていけない・・」と大粒の涙をおとす。
当時、母は貧しく栄養失調ぎみ、三人の子が次々と育たなく他界、ひかるがビッコで学校へも行かない・・本気で死の道を考えていたのであろう。
母の心の内を感じたひかるは、だまって学校へ行くようになったが、いじめは止まず、当然、成績はすべて零点だったが、通信簿は学校の配慮なのか、オール2のアヒルの行進。
しかし、四年の終り頃、勉強もしなかったが、30点、40点が出るようになった。
この、ちょっとだけ成績が良くなった事を、先生が見逃さず、進歩賞なるものを直筆で作り、みんなの前で表彰、褒めてくれたのです。
母に背負われての登校、口を閉ざしたひかるの学校恐怖症、素晴らしい先生との出会い、粋な計らいが自信となり、徐々に心を開いていったのです。
登校拒否やいじめ問題は、このような思いやりのある先生に出会えれば、事なきを得ることでしょう。
筋肉が付き、ビッコも徐々に目立たなくなり、勉強で他のいじめっ子を負かす事が出来る、と悟ったひかるは、必ず一番になる、と猛勉強していったのである。
徐々に慣れて行きましたが、やはり借りてきた猫の如く、もの言わぬ人(オシ)とあだ名され、中学を卒業。
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