挑戦! TV界(6)
2007 / 07 / 31 ( Tue )
マンガ本の片隅に、5コマ漫画で、コタツに入りながら、映画が見られる。「これらテレビだ」と書いてありました。
目を疑い、もう一度読み直しましたが、何度読んでも、同じ。
家にいながら映画が見られる?
本当にそのようなことができるのだろうか。
映画館のない島、焼玉式エンジンのポンポン船で行き来する、別の島で上映される映画が、この家で見られるはずがない・・
情報の全くなかった島で育った少年には、そんな望遠鏡が、あるはずがない。魔法使いにでも、できないはずだと思えるのでした。
しかし、何度読み返しても、5コマ漫画は同じ答えしか出してくれません。
以後、テレビの3文字は、少年の脳裏に焼き付けられたのです。
どうしても、映画が観たい・・
この映画が、家にいながら見られる・・
だったら、テレビを勉強してみたい。
いつの間にか、ひかるは、5コマ漫画の世界へ夢を膨らませ、魔法の箱解明に人生を賭けてみたいと行動を起こすのでした。
11:03:46 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
挑戦! TV界(5)
2007 / 07 / 31 ( Tue )
そんな中でも、子供たちにとって、1番の楽しみは、夏休みや冬休みに、15キロ離れた石垣島へ渡り、映画を見ることでした。
しかし少年の家は、特に貧しく、石垣島へ渡る船賃や映画代など、とても考えられず、その日暮の状況。
子供同士で、映画のシーンや仕草の真似をしながら遊ぶ時が、いちばん悔しく、どうしても仲間に入っていけません。
一度で良いから、映画が観たい・・・
お願いだから、映画を見せてほしい・・・
きっと来年は映画を見せてもらえると、懸命に畑仕事を手伝い、待ちに待った夏休み。
しかし夏休みは、日1日と過ぎ、夢はむなしく消えていきます。
必ず、正月には見せる、と父が約束。
なお一層小さな体で、両親を手伝いましたが、それでも夢は叶えられませんでした。
約束を守ってほしい・・・と無理に言い出せません。
親が1番辛いのは、子供心にもう分かっています。
中学2年生の時でした・・・
07:35:49 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
挑戦! TV界(4)
2007 / 07 / 31 ( Tue )
昭和18年8月、八重山地区の黒島に、ひかる誕生。
出産設備や病院のない島で、生まれた子供が次々と3人も他界した後、3歳違いの長女に続く男子、ひかる誕生で、両親の喜びはひとしお、八年後、母43歳で妹が誕生します。
妹は高齢出産の子、特別可愛がられ、幸せな五人家族でした。
小さな島には電気はなく、もちろん水道もありません。
情報と呼べるものは、特にありません。
飲み水は雨水を瓶に溜め、大事に飲みます。
ボウフラが湧き、瓶の首をコントたたき、潜った瞬間、すくって飲む、ボウフラとの協同生活。
ランプのホヤを拭くのは、大人の手が入らないので、子供の仕事といわれ、何の抵抗もなく、毎日拭かされ、何度かホヤを割り、叱られて育ちました。
サンゴ礁でできた島では岩だらけの合間に点在する、猫の額ほどの畑を耕し、家庭菜園に毛が生えたような自給自足の生活。
小学校高学年のころには、島の貧しい生活に見切りをつけ、石垣島や沖縄本島へと引っ越す家が多くなり複式学級制へと移行していきます。
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少年 南の島から東京へ(3)
2007 / 07 / 30 ( Mon )
現在テレビは全国の家庭に入り込み、生活の一部となっていることは言うまでもありません。
信じがたいことですが、この地区は、5万人もの人口を有するにもかかわらず、平成5年末まで、NHK以外の民放テレビの電波が、届きませんでした。現在でも民放は、二つのチャンネルしか映りません。
沖縄本島との間に中継局が作れす、テレビの最後の未開地となっていたのです。
45年前、この地区の周囲12キロ、人口二百数十人という小さな島から、一少年がテレビにロマンを求め、風呂敷包とパスポートを携え、旅立ちました。
さて、どんな人生になるのでしょうか・・・
18:03:27 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
少年 南の島から東京へ(2)
2007 / 07 / 30 ( Mon )
西表島は起伏に富んだ山だらけ、人口2000人んの島で、周囲75キロの90%以上が、マングローブや亜熱帯の原生林に覆われ、東洋のアマゾンと呼ばれる、生まれたままの自然が残された、日本最後の秘境の島である。
またこの島には、天然記念物の西表ヤマネコが生息している。
この猫は、中国大陸と、日本が、陸続きだった大昔、この島の山に取り残され、そのまま生息しているという。
ヒョウ、、ピューマ、チーターなど、ネコ科の原種だという。
中国のパンダは、世界的にも有名だが、それよりも貴重な動物が、日本にも生息中ということである。
知床半島や釧路湿原など、日本でも、世界遺産に登録されているところはあるが、まず一番目に、この西表島が、世界遺産に登録されるべきではなかっただろうか。
国連環境問題等で、環境大臣が、世界に誇れる、ネコ科の原種が日本に生息していることをアピールすれば、絶賛されるのではないだろうか。
となりの石垣島は、沖縄県最高峰の、於茂登岳、526メートルがあり、この地区の人口4万6000人の内、4万2000人、90%以上の人口が集中。
台風情報をいちばん先にとらえる、日本南端の石垣島気象台で知られ、空港拡張では、サンゴ礁破壊問題を抱えています。
南の島々は空から見下ろすと、すべてサンゴ礁で縁どられ、そこへうち寄せるさざ波は、白くリング状に取り巻き、鮮やかなコバルトブルーから、濃いネイビーブルーへと変化する、まばゆい紺碧、膨大な絵の具を流し込んだのではないか、とさえ思われる風光明媚な大自然が豊富に残されています。
またこの地区は郷土芸能の宝庫ともいわれ、マタハーリヌ、チンダラカヌシャマヨー、と歌われる、沖縄県を代表する、安里屋ユンタ等、数多くの民謡や踊りを生み、方言や風習など、貴重な財産として引き継がれ、サンゴの種類や規模の大きさなどでも、
世界屈指の群棲地として注目の的となっています。
17:32:10 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(18) | page top↑
少年 南の島から東京へ(1)
2007 / 07 / 30 ( Mon )
沖縄県は、120もの島々で構成され、第二次世界大戦最後の上陸作戦、激戦地となり、戦後は昭和47年まで、
米国が統治し、復帰後の今なお、敗戦の傷跡を多く残しています。
本土は原爆で一瞬だったが、沖縄は上陸掃討作戦、戦車と火炎砲で横一列に焼き尽くしていく。
壕に住民が潜んでいたとしても、焼き尽くす。
軍人が混じっているので、やむを得ないといえばやむを得ないだろう。
恐怖の中から捕虜として集められ、住民は生き延びてきたのである。
焦土と化した広大な土地に、米軍は極東をにらんだ巨大な基地を作った。
残された猫の額ほどの、親兄弟の血のしみこんだ土地を耕すしかなかった。
食糧難、沖縄の人たちは、米軍にものすごいのごとくすがりついて生きるしかなかった。
そして戦後は米国統治のままである。
沖縄から見ると本土は自分たちの繁栄、復興に必死で、沖縄は見放された状態に映る。
親が自分の身を守るために子ども切り捨てた、という怒り、感情が渦巻き、
戦前から植え付けられた反米感情をはるかに上回る、今度は反日感情が積み重なっていったのである。
60年を過ぎた今、やっと沖縄も少しは注目されるようになって来たのである
沖縄本島より450キロ南、県2番目に大きな西表島、3番目に大きな石垣島を中心とした、
19の島々からなる、八重山地区は、日本最南端、波照間島、および最西端、与那国島を有する、日本の最南西地区。
また、今は無人島ですが、以前はカツオ漁が盛んに行われた魚釣り島もこの地区にあり、
海底にはかなりの石油が埋蔵されているとの、調査結果があり、中国、台湾も帰属を主張し、
国際的にも関心が寄せられています。
15:45:59 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(43) | page top↑
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